優美なるボルドーの女王『シャトー・マルゴー』

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ワインを巡る旅
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17世紀末に256haもの圃場を持った「シャトー・マルゴー」は、ボルドーの中でもトップの圃場として有名でした。

18世紀にはロートシルト・シャトー・ラフィットでも登場したトーマス・ジェファーソン駐フランス大使が「シャトー・マルゴー1784年」を注文した際、「これ以上のボルドー・ワインはない」と記したそうです。

1855年の格付けで第1級となり、フィロキセラ後の1893年は豊作となりましたが、アメリカ産台木に接木した若い樹からは高品質のブドウが収穫できなかったため、一部のワインはセカンドワインとして販売されました。

それが「パヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴー」のスタートとなりました。

戦前からシャトー・マルゴーの販売を成功させていたネゴシアンのジネステ一族が、1950年にシャトーを取得し、フェルナンとピエール親子が畑の再編に取り組んでいたが70年代に入りペルナール氏になると石油危機とボルドー市場の低迷、ブドウの不作に苦しみジネステ家は負債によりシャトー の売却を余儀なくされました。

シャトーは2年間も市場に出ていましたが77年にギリシャ系の実業家アンドレ・メンツェロプーロス氏が、7200万フランで買収したことから今に生きるシャトー・マルゴーの快進撃が始まりました。

アンドレ・メンツェロプーロス氏は食品流通業の「フェリックス・ポタン」で成功した経営者で、その経営センスは素晴らしいとしかいいようがありませんでした。

ボルドーのシャトー経営に可能性を見出し、大型投資を行い、ブドウ畑や醸造施設に積極的に投資を進めました。

コンサルタントの元祖的な存在である、エミール・ペイノー・ボルドー大学教授とフィリップ・バレ氏の助言を受けて、パヴィヨン・ルージュ・デュ・シャトー・マルゴーを復活させながら「パヴィヨン・ブラン・デュ・シャトー・マルゴー」の見直しを進め、大樽を使用した熟成方法を導入して、地域初の大きな地下醸造施設の建設を計画しました。

80年代にアンドレ・メンツェロプーロス氏は他界しましたが、その情熱を娘のコリーヌ氏が受け継ぎ刷新プロジェクトを82年に完了させました。

83年には農業エンジニアのポール・ポンタリエ氏が技術責任者として着任し、「フィアット」も所有していた株主のアネッリ家の強力も得て、栄光の復活に向けて走り出しましたが、アネッリ家は2003年に事業から撤退し、メンツェロプーロス家の単独所有者となりました。

262haの敷地農地80haに赤ワイン用のブドウが栽培され、この80haには1855年の格付けが行われたワインと同じ、栽培比率がカベルネ・ソーヴィニヨン75%、メルロー20%、ブティ・ヴェルド3%、カベルネ・フラン2%となっています。

この台地の頂上にある25haのプラトーが最良の区画で、深い礫に恵まれて水捌けが良く、圃場の大部分はオーガニックで栽培され、2017年からグラン・ヴァンはオーガニックで栽培されています。

このシャトーの西側に石灰岩が主体の冷涼な11haに植樹したソーヴィニヨン・ブランから、「パヴィヨン・ブラン・デュ・シャトー・マルゴー」が生産されており、少数のセミヨンも植樹されていますが、パヴィヨン・ブランにはほとんどブレンドされず、ジェネリックな「ボルドー・ブラン」として売られました。

シャトー・マルゴーでは、ほとんど霜害を受けない、ジロンド川に近く、川の保湿効果と冷気のたまらない標高の高い土地に圃場がありました。

83年から夜明け前に散水して樹を凍らせる霜対策システムを導入し、グリーン・ハーベストは86年にメドックで初めて行われました。

偽造品対策も早くから着手し、89年にレーザーエッチングしたボトルを導入し、2011年には「ブルーフタグ」社の認証システムを採用しました。

シャトー・マルゴーの魅力は何といっても、複雑さと香り高さを備えたエレガンスという言葉に集約されます。

それでいながらも長期熟成にも向いており、様々なサイズの木製樽とステンレスタンクによって醸造されました。

この樽も社内で製造されており、パヴィヨン・ブラン・デュ・シャトー・マルゴーはマロラクティック発酵を行わず、フレッシュ感を保っています。

ワイン評論家のロバート・パーカー氏はこのワインに1996年、1990年に100点を与えました。

ここからワイナリーは品質を向上させながら、次世代への継承を見据えつつ進化しています。